東京音楽大学学長でピアニストの野島稔先生が5月9日、肺がんのため、ご逝去されました。今月23日の77歳のお誕生日を目前にした満76歳でいらっしゃいました。井口愛子先生の秘蔵っ子と言われた少年時代を経て、桐朋学園卒業後モスクワ音楽院に留学されてレフ・オボーリンに師事された先生は、筋の通った折り目正しいピアノをお弾きになられる方でした。オボーリンは1927年、第一回ショパン国際ピアノコンクールの優勝者、Ashkenazyのお師匠様ですから、野島先生はAshkenazyの兄弟弟子にあたられます。
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 わたくしは仙台国際ピアノコンクールの取材時に、いつも審査委員長の先生から、審査のコンセプトや参加者たちの講評などをうかがっておりましたほか、ご自身の主催される横須賀芸術劇場の野島稔ピアノコンクールのインタビューもさせていただいたことがあり、いくつもの名言が耳に残っております。
 そのなかで、もっとも勉強になりましたのは、モーツァルトのピアノ協奏曲についてのお話でした。一般的にモーツァルトのピアノ協奏曲と申しますと、最後の8作にばかり陽が当たりがちですが、そこでいきなり傑作群が出現したのではなく、1784年に書かれた一連作、K.449、K.450、K.451、K.453、K.456、K.459があったからこそ、後期の珠玉作の数々が生まれたのだということ、だから、ピアニストを志そうという者は、まずそれらを踏破しないことにはお話にならず、それらを優れて弾きこなした者こそ、先へ進めるのだ、という観点でございました。
 それゆえに、仙台コンクールでは第二次、または第三次予選にそれらが課題とされています。普段あまり目立たない協奏曲群で、弾く方も、聴く方も馴染みがないかも知れませんが、よく聴くと、随所に後期の萌芽が聴き取れてはっといたします。
 コンクールを受けた若手ピアニストたちからも、これが課題でなかったら弾かないままだったかもしれません、でも弾いてみて、意義がよくわかりました、とのお声をいただき、野島先生の慧眼に敬服いたしておりました。
 わたくしも、ものを書く立場から、大きく観点を広げていただき、感謝申し上げております。
 野島稔先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。合掌。
                                      2022年5月12日記