キーシンさまがカナダでのリサイタルをまじかにして、地元メディア「Stir」からの「今回のロシアによるウクライナ侵攻に対して何かご発言はありますか」との質問に「ええ、山ほど」と答え、プーチンを人食いオオカミになぞらえる一方、西側諸国の長年のそれに対する対応の甘さ、無責任さを批判する痛烈な所感を寄せました。
 あの、いつもにこにこしている、温和なキーシンさまのお口から、これほど火のように激しいお言葉が発せられたことに驚き、彼が決して、ピアノさえ弾けていればハッピーな人間ではなく、世界の歴史と人類の愚かしい歩みを深い憂いと憤りを持って見つめてきた、怜悧な分析者であることに、改めて尊崇の念を禁じ得ませんでした。
 なお、1971年モスクワ生まれの彼は2013年にイスラエル市民となり、ロンドンとニューヨーク住まいを経て、現在は2017年に結婚したカリーナ・アルズマノフ夫人と共にチェコのプラハに住んでおられます。
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 発言は、ソルジェニーツィンの小説『煉獄の中で』の一節の引用から始まります。  
 小説の舞台は、政治犯の収容所。若い囚人グレブが、年配の囚人スピリドンに、問います。
「世の中の誰が正しくて、誰が間違っているのを見極めることはできるのだろうか? 誰がそれを教えてくれるのだろうか?」
 スピリドンのしかめっ面は消え、まるで翌朝の当番は誰かと聞かれたように、すらすらと答えました。
「わたしは言える。(人食い)狼を殺すのは正しい、人を食べるのは間違っている」

「なんだって?何を言っているんだ?」

スピリドンの単純明快な答えに、グレブは息を飲みます。

「ただそれだけのことだ」
 とスピリドンは言いました。
「(人食い)狼殺しは正しいが、人食いは正しくない」

  この凄まじい暗喩、いえ、暗喩ではなく、誰にでもすぐわかるたとえを引用した上で、キーシンさまは次のように主張しました。
 
 ソ連が消滅した後、一体なぜロシアは国連安全保障理事会の議席を継承したのでしょうか?
 第二次世界大戦後、ソ連にその席を与えずにおくことはおそらく困難だったとわたしは理解していますが、邪悪な帝国が崩壊した後、なぜロシアに与えられたのですか?
 それは、例えばカナダ、オーストラリア、日本のような、ふさわしい民主主義国に与えられるべきだったのです。そして今、わたしたちは皆、そこからどのような問題が生じているかを目の当たりにさせられています。
 共産主義の崩壊後、西側はナチズムの崩壊後にドイツにしたのと同じことをロシアに対して行うべきだったのです。
 共産主義指導者は国際法廷で裁かれるべきでした。
 欧米は、ロシアに、共産主義のイデオロギー、文学や象徴を非合法化し、共産主義の犠牲者に何十もの記念碑を建て、絶えず悔い改め、クレムリンの盗賊の多数の犠牲者、ユダヤ人、ウクライナ人、エストニア人、ラトビア人、リトアニア人、グルジア人、ポーランド人、チェコ人、その他多くの人々に賠償金を支払うよう強制すべきだったのです。
 ウクライナとバルト三国における
: fifth column =第五列=スパイたちは、第二次世界大戦後にズデーテンラントとシレジアのドイツ人スパイたちがドイツに移管されたのと同じ方法でロシアに移管されなければなりませんでした。

 ところが、欧米はそのようなことは一切しませんでした。それをよいことに共産主義後のロシアは、CPSUの地域委員会の元書記ボリス・エリツィンの下で、ミロシェビッチ(政敵の誘拐虐殺や民間人の大量虐殺を行ったセルビアの独裁者)を支援することにより、欧米の外交政策とは反対の外交政策を直ちに追求し始めました。

 (中略)

  その後、「民主的」ロシアはアブハジアのグルジア人の民族浄化を行い、グルジアからアブハジアを奪取したのです。そして、西側はエリツィンにそれを許し、彼を支援し続けました。
 八万人を殺害したチェチェン紛争の後でさえ、欧米は口先だけの批判はしても、ロシアをいかなる経済制裁にもさらしませんでした。これらは事実なんです。―悲しくて恥ずべき事実です。

 

 一世紀近く前のヒトラーとの経験が、独裁者や殺人者を決してなだめるべきではなく、最も決定的に、そしてあらゆる可能な手段で対峙すべきだと、いまだに欧米政治家に教えていないのはなぜなのでしょうか?
 そうすることは権利であるばかりでなく、欧米の道徳的義務であり、さもなければ、独裁者に犯すよう奨励する犯罪の温床になるということが、なぜ、わからないのですか?
(中略)

 勇敢なウクライナ国民がこの戦争に勝利し、侵略者や殺人者を彼らの国から追い出すのを助けるためにあらゆることをしなければ、歴史は決してあなた(たち西側諸国)を許さないでしょう。

 

 最後の一文「Volkodav pravlyudoyed - net!」は、ロシア語の韻を踏んでいるそうでございます。

 本記事の拙訳は、キーシンさまの発言の一部にすぎず、誤訳があるやも存じません。
 ご関心のあられる方は、原文に触れていただけますと幸いでございます。
 元記事と発言の全文は下記クリックでご覧いただけます。

https://www.createastir.ca/articles/vancouver-recital-society-evgeny-kissin


                                    2022年4月24日記