昨日の続きとして、イリーナ・メジューエワさんの最新アルバム『ブラームス:ピアノ・ソナタ第3番』2枚組の「CD2」について書かせていただきます。ここには『2つのラプソディ』作品79、『4つのバラード』作品10、『4つのピアノ曲』作品119が入っていて、どれもブラームス特有の重心の低さを生かした線の太い演奏ですが、とりわけわたくしが心惹かれたのは、『4つのバラード』作品10、ことに第1曲でございました。
1853年、デュッセルドルフのシューマン夫妻を訪問して夫妻と急速に親交を深めていったブラームスは、その高揚した日々のうちにかねて書き進めてきたピアノ・ソナタ第3番を完成させ、これをもってソナタ創作に終止符を打っています。
翌54年2月末、シューマン自殺未遂事件の報に接するや、彼はすぐさまデュッセルドルフに駆けつけ、シューマンの妻クララの相談相手となりながら同年夏に『シューマンの主題による変奏曲』作品9とこの『4つのバラード』作品10を相次いで完成させました。つまりこの2作が、ソナタ以後の変奏曲と小品のそれぞれの出発点となったわけです。
うち、『4つのバラード』は、第1番から順にニ短調-ニ長調(同主調)-ロ短調(平行調)-ロ長調(同主調)という近親調関係に配列され、前の曲の最後の音と次の曲の開始音が違和感なく響くように配慮されています。イリーナさんはこのことに細心の注意を払っていらっしゃって、曲のつなぎがとても自然です。ショパンのバラードに比べると地味で内省的な雰囲気が濃厚ですが、イリーナさんのような名手で拝聴いたしますと、ヨハネスがこの若さにしてすでに到達している精神的深みも感じられ、深い味わいがございます。
では、驚きのドラマ性に慄然とする第1番から順に解説させていただきます。
■第1番 :アンダンテ、ニ短調、4/4拍子。ドイツ・ロマン派の詩人ヘルダーの編纂した『諸民族の声』に収載されているスコットランドの古いバラード〈エドワード〉から着想したと楽譜に明記されているため〈エドワード・バラード〉と呼ばれています。
第1部は冷静な母と興奮している息子の対話であることがはっきりとわかります。
「おまえの剣はなぜ赤く染まっているのかい?エドワード、エドワード、なぜそんなに悲しそうなの? 本当のことを言いなさい」
「ああ、お母さん、わたしは自分の鷹を殺しました」
「鷹の血はそんなに赤くはないはず」
「わたしは高慢な馬を殺したのです」
「タタタターン」の動機に始まる中間部がクライマックス。
母親が「おまえの馬は老いて従順なはず」と問い詰めると息子は「実は父さんを殺しました」と告白し「私は海の彼方に去ります」と答えます。
「では、おまえの家は?」
「荒れるがままにしておきましょう、朽ちればよいのです」
「ではおまえの妻と子は?」
「乞食をすればよい、世界は広いのです。わたしは二度彼らに会いません」との会話が続きます。
第3部は第1部と同じ母の静かな声で始まります。
「では、この母さんはどうなるのだね?」。
息子は驚くべき返事をします。
「母さんには呪いを残します。だって、貴女がそそのかしたのですから」
ここで初めて、父親殺しが母親の教唆によるものであったことが明かされるのです。
息子を冷静に問い詰める母親こそ惨劇の首謀者であったというのが、このバラードの世にも恐ろしい結末……。
■第2番:アンダンテ、ニ長調、3/4拍子。以下3曲には第1番のようなドラマ性はありません。第2番はロマンス風の優美なバラード。冒頭のFis-A-Fisの進行はブラームスのモットー(Frei aber froh “自由にしかし喜ばしく”)の各語の頭文字を音名化したもの。これは、親友ヨアヒムのモットーF-A-E(Frei aber einsam“自由にしかし孤独に”)に啓発されて発想した言葉で、ブラームス作品の中にしばしば用いられています。スタッカート同音連打に始まる中間部にはシューマンの「クライスレリアーナ」終曲へのオマージュが指摘されています。
■第3番:アレグロ、ロ短調、6/8拍子。間奏曲風の短いバラード。4曲の中の息抜き、気分転換のような位置づけといえるでしょう。
■第4番:アンダンテ・コン・モート、ロ長調、3/4拍子。しみじみと心に通う終曲。「親しみのある感情をもって。しかし旋律をあまり強調しないように」と指示されています。
イリーナさん、充実の演奏作品をお聴かせくださり、まことにありがとうございました。
2022年4月16日記
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