昨日4月12日、新国立劇場『ばらの騎士』の最終日を拝見してまいりました。2019年11月30日に85歳で逝去されたイギリスの医学博士、芸術プロデューサー、作家、演出家ジョナサン・ミラー博士の手になるこの名プロダクションが同劇場で上演されるのは、2007年、2011年、2015年、2017年に続く5回目。わたくしは2015年の上演から拝見しておりますが、数年おいて3度拝見いたしますと、やはりいろいろと新発見がございます。
なかでも、今回の有料プログラム冊子に再掲載されていたミラーの、本プロダクション初演に際した2007年のインタビューの、今日的メッセージ性に、強く打たれました。今から15年も前に、ミラー博士の眼には今の世界がみえていらしたようで、言葉もございません。 一部を引用させていただきます。
■『ばらの騎士』初演(2007年6月)の際のインタビューより
「……本作は、欧州における貴族社会の在り方に根差したドラマです。21世紀の現在では、伝統的な貴族の数は格段に減少し、それに代わって、一つの国家に属するというよりも、世界各地の企業家たちが、経済的な余裕を併せ持つ「世界貴族」として振舞っているかのようです。しかし、当時も今も変わらず、人間は、押し寄せる時代の変動をはっきりと見通せないままでいます。先のことは誰にもわからないのです。20世紀初頭の社会でも、周囲で「何か」が変化しつつあり、その「何か」によって、自分たちの優雅な生活が完全に過去のものになってしまうと感じていた人はいたようですが、しかし彼らはそれを回避することはできませんでした。その「何か」とは、1914年に勃発した第一次世界大戦とそれに続く第二次世界大戦であり、人類史上もっとも恐ろしい100年となった20世紀そのものである、私はそう思っています。
『ばらの騎士』の物語をこの20世紀初頭に置き換えた場合、青年貴族オクタヴィアンはいずれ戦場で敵弾に斃れてしまい、ゾフィーは未亡人になることでしょう。一方、元帥夫人は劇中でもっとも優しく寛大な心の持ち主ですが、聡い彼女は「時計を止めたい」と発言する時に、自分の年齢が進むことだけを感じるのではなく世界全体の「時代」が移り変わる様子をも肌で感じ取ったうえで舞台を去っていきます。……オペラの演出家とは、物語を具現化するためにあらゆる種類のクリシェ、陳腐な慣習を排するための存在です。人物群を、観客の皆さまが身近に感じられるような存在として動かすのです。新国立劇場の今シーズンのテーマは「運命・希望ある別れ」とのことですが、『ばらの騎士』の人々は、別れに希望を託しはしても、そのすぐ先に自分たちの運命に大変化が起きることまでは予見せずにいます。今回はそうした暗雲立ち込める時代の前夜に、人々の真実味溢れる生き方を描くことで、この作品の本質に迫りたいと思っています」
さて、上演ですが、主役クラスの外国人歌手が、アンネッテ・ダッシュさん以外、来日が叶わなくなり、その穴を日本人実力派が埋められて、初めからこのキャストでよかったと思えるほどの成果を上げられました。妻屋秀和さんのオックス男爵、与那城敬さんのファーニナル、安井陽子さんのゾフィー、森谷真理さんのちょっともったいないマリアンネ、内山信吾さんのヴァルツァッキ、加納悦子さんのアンニーナ、テノール歌手の宮里直樹さん、公証人の実におじょうずな晴雅彦さん、どなたも好演でいらっしゃいまして、ことに、小林由佳さんのオクタヴィアンの歌唱と役作り、立ち姿の姿勢のよさに感心いたしました。
指揮のサッシャ・ゲッツェㇽさん、東フィルの音楽づくりも自然な流れで進み、いつしか白熱し、また落ち着くというみごとな起伏が心地よく感じられました。
2022年4月13日記
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