本日、日本フィルの第739回定期演奏会で、小林研一郎マエストロの指揮による、シューマンとブラームスのともに4番を並べた興味深いプログラムを聴いてまいりました。短期間ながら、親愛の情に満ち満ちた、師弟関係というよりは音楽家としての深い敬愛に結ばれた先輩と後輩、世に出した人と出された人 の関係にあったこの二人は、ともに4曲の交響曲を遺しました。その両人の、ともに4番の番号を持つ交響曲を並べて拝聴出来たことは、両作曲家がこのジャンルに何をしたかったのかが、いささかですが理解できた気がいたしまして、大きな収穫でございました。
こちらの写真は開演前にホールエントランス前で、いつも温かな笑顔で出迎えてくださる、日フィルの平井理事長とご一緒に撮りました。
鬼しぼ縮緬に青で染めた更紗小紋はちょうど手持ちだったもの。黄色地に銀の波模様の開き名古屋はこのたび購入いたしました。372センチの長めでございましたので、なんとか小さめの二重太鼓に結びましたが、ぎりぎりすぎて帯留の五分紐が少し下寄りになりました。
帯留めの石は、宮澤賢治がこよなく愛し、彼の描く理想郷イーハトーブの特産品に設定していた琥珀でございます。
古代の昆虫、またはお花を飲んだなかなかにめずらしい虫琥珀を銀の台座に留めた、上質のもので、ご希望のお方があれば、お譲りしたく、そのお代をウクライナ大使館に寄付させていただく所存でございます。洋装用には、ブローチ、ネクタイピンに加工可能でございます。着物も帯も寄付の原資としてお譲りいたします。お気持ちのおありの方は、どうぞコメント欄、またはわたくしのメール yukiko99@io.ocn.ne.jp まで、お声をおかけくださいませ。いかほどでも結構でございます。
シューマンの4曲は、作曲順に並べると、第1番(1841年)、第4番の初稿(1841年)、第2番(1845~46年)、第3番(1850年)、第4番の改訂稿(1851年)となります。第4番の初稿も没後1891年にブラームスによって出版されてしまい、これをお蔵入りさせることがシューマンの意に適うことと信じていたクララを激怒させる一幕があるわけですが、本日の演奏会もそうであったように、通常は改訂稿のほうで演奏されます。ともあれ、この曲は4つの楽章の連続性が大きな特色で、大規模な幻想曲のようでもあります。第1楽章を支配するくねくねとした主題、ワイルドなエネルギーに満ち溢れたスケルツォ楽章、第1楽章の素材を生かしたフィナーレと聴きどころ満載でございます。テンポの動かしにもダイナミクスにも細心の注意を払いながらしなやかに音楽を進行させるコバケン・マエストロと、16型の日フィルの鳴りのよい演奏は曲の魅力を余さず引きだしていました。
ブラームスの4番はナンバリングどおり、最後に書かれたもので、1885年作曲。初演も同年です。
わたくしはこれを聴くたびに、マエストロ・チョン・ミュンフンの言葉「ブラームスは第1番で獅子となり、第4番で(その獅子が天空に飛翔して)鷲となった」という言葉を思い起こし、涙ぐんでしまうのです。決して人懐こいとは言えない、若いうちから峻厳で孤高の魂をもっていた青年が21年がかりでついに獅子なる第1交響曲を世に送り、さらに2つのステップを踏んだのちに、52歳でついに鷲となり、大空を悠々と滑空して、自身の越し方や、つながりのある人々の営みを見下ろしている、と思うと、「ヨハネス、今までいろいろとたいへんだったね、でも、今あなたは鷲になったのね」と目頭が潤んでしまうのです。
本日のような充実の演奏で拝聴いたしますと、なおさらでございました。
2022年4月2日記
こちらの写真は開演前にホールエントランス前で、いつも温かな笑顔で出迎えてくださる、日フィルの平井理事長とご一緒に撮りました。
鬼しぼ縮緬に青で染めた更紗小紋はちょうど手持ちだったもの。黄色地に銀の波模様の開き名古屋はこのたび購入いたしました。372センチの長めでございましたので、なんとか小さめの二重太鼓に結びましたが、ぎりぎりすぎて帯留の五分紐が少し下寄りになりました。
帯留めの石は、宮澤賢治がこよなく愛し、彼の描く理想郷イーハトーブの特産品に設定していた琥珀でございます。
古代の昆虫、またはお花を飲んだなかなかにめずらしい虫琥珀を銀の台座に留めた、上質のもので、ご希望のお方があれば、お譲りしたく、そのお代をウクライナ大使館に寄付させていただく所存でございます。洋装用には、ブローチ、ネクタイピンに加工可能でございます。着物も帯も寄付の原資としてお譲りいたします。お気持ちのおありの方は、どうぞコメント欄、またはわたくしのメール yukiko99@io.ocn.ne.jp まで、お声をおかけくださいませ。いかほどでも結構でございます。
シューマンの4曲は、作曲順に並べると、第1番(1841年)、第4番の初稿(1841年)、第2番(1845~46年)、第3番(1850年)、第4番の改訂稿(1851年)となります。第4番の初稿も没後1891年にブラームスによって出版されてしまい、これをお蔵入りさせることがシューマンの意に適うことと信じていたクララを激怒させる一幕があるわけですが、本日の演奏会もそうであったように、通常は改訂稿のほうで演奏されます。ともあれ、この曲は4つの楽章の連続性が大きな特色で、大規模な幻想曲のようでもあります。第1楽章を支配するくねくねとした主題、ワイルドなエネルギーに満ち溢れたスケルツォ楽章、第1楽章の素材を生かしたフィナーレと聴きどころ満載でございます。テンポの動かしにもダイナミクスにも細心の注意を払いながらしなやかに音楽を進行させるコバケン・マエストロと、16型の日フィルの鳴りのよい演奏は曲の魅力を余さず引きだしていました。
ブラームスの4番はナンバリングどおり、最後に書かれたもので、1885年作曲。初演も同年です。
わたくしはこれを聴くたびに、マエストロ・チョン・ミュンフンの言葉「ブラームスは第1番で獅子となり、第4番で(その獅子が天空に飛翔して)鷲となった」という言葉を思い起こし、涙ぐんでしまうのです。決して人懐こいとは言えない、若いうちから峻厳で孤高の魂をもっていた青年が21年がかりでついに獅子なる第1交響曲を世に送り、さらに2つのステップを踏んだのちに、52歳でついに鷲となり、大空を悠々と滑空して、自身の越し方や、つながりのある人々の営みを見下ろしている、と思うと、「ヨハネス、今までいろいろとたいへんだったね、でも、今あなたは鷲になったのね」と目頭が潤んでしまうのです。
本日のような充実の演奏で拝聴いたしますと、なおさらでございました。
2022年4月2日記
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