「能」という芸能は「舞」と「謡」を構成要素としていますが、そのうちの声楽部分である「謡」にもとづき「能声楽」という独自のジャンルを打ち立ててその演奏家として活躍する青木涼子さんは、2010年から世界各国の最前線作曲家に新作を委嘱して世界初演するシリーズ「現代音楽×能」を継続なさってこられました。昨日1月12日の晩は、その第9回がサントリーホールブルーローズで開催されました。
今回、新作を委嘱された作曲家は、1978年ローマ生まれのシルヴィア・ボルゼッリさん、同じく1978年東京生まれの稲盛安太己さん、1988年スペイン、ビルバオ生まれのミケル・ウルキーザさんの3人。いずれも、青木さんの能声楽に独奏チェロが伴奏をつける形で書かれた3者3様の新作が世界初演されました。チェロ独奏は、桐朋学園とハンブルク音楽演劇大学、バーゼル音楽院に学んだ実力派、上村文乃さんです。
もっとも驚かされたのは、ボルゼッリさんの作品『旅人』が、宮澤賢治の最晩年作、病中の苦しみの中で書いた『疾中』より『丁丁丁丁丁』、及び、『春と修羅』の一節「たび人」をテキストとしていたことでした。こちらが、現在アムステルダムに住まわれて国際的に活躍されているシルヴィア・ボルゼッリさんです。
そのボルゼッリさんが強く惹かれたという賢治の『丁丁丁丁丁』は次のような、鬼気迫る散文詩です。
丁丁丁丁丁
丁丁丁丁丁
叩きつけられてゐる 丁
叩きつけられてゐる 丁
藻でまっくらな 丁丁丁
塩の海 丁丁丁丁丁
熱 丁丁丁丁丁
熱 熱 丁丁丁
(尊々殺々殺
殺々尊々々
尊々殺々殺
殺々尊々尊)
ゲニイめたうとう本音を出した
やってみろ 丁丁丁
きさまなんかにまけるかよ
何か巨きな鳥の影
ふう 丁丁丁
海は青じろく明け 丁
もうもうあがる蒸気のなかに
香ばしく息づいて泛ぶ
巨きな花の蕾がある
初めてこの一編を知ったとき、その凄絶さに息を飲みましたが、日本語をご存じないイタリア生まれの女性作曲家ボルゼッリさんにも、賢治の「こんな苦しい病なんかに負けずに、もっと生きてその証の詩文を書きたい」という一念が伝わって、これをテキストとして曲を書きたいという衝動を与えたことに慄然といたしました。
青木さんは、扇を手にしてそのそれを勢いよく開閉する音をリズムに「チョウ、チョウ、チョウ、チョウ、チョウ」と迫力ある謳を披露され、その声楽に対して上村さんのチェロが白熱の器楽で応えていました。賢治のあの、病と闘う凄まじい散文詩が、このような音楽作品として新たな命を与えられたことに本当に胸打たれ、作曲家と演奏家の力量にただただ、頭を垂れるばかりでした。
稲盛さんの『舞うもの尽くし二首』の出典は『梁塵秘抄』。独特のおかしみのある、聴きやすい作品でした。
ウルキーザさんの『小さなツバメ』はオスカー・ワイルドの『幸福の王子』の日本語訳がテキストです。幼い頃に絵本で親しんで、読むたびに大泣きしてしまった、大好きだけれども悲しくて困ってしまうお話でしたので、思いがけなく再会できて、その絵本の絵を思い出しました。
それにしても、作曲家のテキスト選びの感性というものは、それだけでもう至芸と申し上げるべきでしょう。才能ある作曲家がよきテキストに出会えたとき、おのずと名曲が生まれるようでございます。
2022年1月13日記
今回、新作を委嘱された作曲家は、1978年ローマ生まれのシルヴィア・ボルゼッリさん、同じく1978年東京生まれの稲盛安太己さん、1988年スペイン、ビルバオ生まれのミケル・ウルキーザさんの3人。いずれも、青木さんの能声楽に独奏チェロが伴奏をつける形で書かれた3者3様の新作が世界初演されました。チェロ独奏は、桐朋学園とハンブルク音楽演劇大学、バーゼル音楽院に学んだ実力派、上村文乃さんです。
もっとも驚かされたのは、ボルゼッリさんの作品『旅人』が、宮澤賢治の最晩年作、病中の苦しみの中で書いた『疾中』より『丁丁丁丁丁』、及び、『春と修羅』の一節「たび人」をテキストとしていたことでした。こちらが、現在アムステルダムに住まわれて国際的に活躍されているシルヴィア・ボルゼッリさんです。
そのボルゼッリさんが強く惹かれたという賢治の『丁丁丁丁丁』は次のような、鬼気迫る散文詩です。
丁丁丁丁丁
丁丁丁丁丁
叩きつけられてゐる 丁
叩きつけられてゐる 丁
藻でまっくらな 丁丁丁
塩の海 丁丁丁丁丁
熱 丁丁丁丁丁
熱 熱 丁丁丁
(尊々殺々殺
殺々尊々々
尊々殺々殺
殺々尊々尊)
ゲニイめたうとう本音を出した
やってみろ 丁丁丁
きさまなんかにまけるかよ
何か巨きな鳥の影
ふう 丁丁丁
海は青じろく明け 丁
もうもうあがる蒸気のなかに
香ばしく息づいて泛ぶ
巨きな花の蕾がある
初めてこの一編を知ったとき、その凄絶さに息を飲みましたが、日本語をご存じないイタリア生まれの女性作曲家ボルゼッリさんにも、賢治の「こんな苦しい病なんかに負けずに、もっと生きてその証の詩文を書きたい」という一念が伝わって、これをテキストとして曲を書きたいという衝動を与えたことに慄然といたしました。
青木さんは、扇を手にしてそのそれを勢いよく開閉する音をリズムに「チョウ、チョウ、チョウ、チョウ、チョウ」と迫力ある謳を披露され、その声楽に対して上村さんのチェロが白熱の器楽で応えていました。賢治のあの、病と闘う凄まじい散文詩が、このような音楽作品として新たな命を与えられたことに本当に胸打たれ、作曲家と演奏家の力量にただただ、頭を垂れるばかりでした。
稲盛さんの『舞うもの尽くし二首』の出典は『梁塵秘抄』。独特のおかしみのある、聴きやすい作品でした。
ウルキーザさんの『小さなツバメ』はオスカー・ワイルドの『幸福の王子』の日本語訳がテキストです。幼い頃に絵本で親しんで、読むたびに大泣きしてしまった、大好きだけれども悲しくて困ってしまうお話でしたので、思いがけなく再会できて、その絵本の絵を思い出しました。
それにしても、作曲家のテキスト選びの感性というものは、それだけでもう至芸と申し上げるべきでしょう。才能ある作曲家がよきテキストに出会えたとき、おのずと名曲が生まれるようでございます。
2022年1月13日記
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