シャツとボトムにマフラー、靴に靴下とお気に入りのコーディネイトをびしっと決めて、さあ、いよいよ、心を込めて仕立てた最高のジャケットを羽織れば、スタイリッシュな姿の完成!
と思ってジャケットを着こみますと、
「あれー、そのジャケット、厚ぼったくて、なんだか変てこだね」
「ほんとに変だよ、なんだ、それ?」
「そんな重苦しいジャケットなんてやめたほうがいい」
「そうそう、それさえ羽織らなきゃいいんだが・・・・・・」
「どうしてもジャケットを着たいんなら、もっと、さっぱりした軽やかなジャケットを新調すればいいんだよ」
「そうだ、そうだ、そんな奇天烈なジャケットは、さっさと脱ぐに限るよ」
みんなで寄ってたかって、彼が丹精込めたジャケットを脱がしにかかりました。
「わからずやたちめ、一体このジャケットのどこがいけないんだ」
彼の抗議もむなしく、せっかくこれを着れば完成するはずだった晴れ姿は頓挫し、みんなに押し切られる形で、彼は軽い生地を使って、誰からも好かれそうな新しいジャケットを仕立て上げました。
そしてその軽いジャケットが、最初に選ばれていたシャツ、ボトム、マフラー、靴、靴下と組み合わされることになりました。
脱がされてしまった重い生地の凝った縫製のジャケットは、単独のジャケットとして存在を認められたものの、長らく人々から「変てこジャケット」と目されてきました。
しかし、近年はその重い生地と凝った縫製の真価が見直されるようになったばかりではなく、トータル・コーディネイトとしても、こちらを組み合わせたほうがしっくりくる、と感じて、実際にこの組み合わせで着こなす通人たちが増えてきました。
今日は、明後日の小平楽友サークルで勉強する、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲シリーズのうちの、第13番作品130のレジュメを切っていて、こんなことを思いました。
精魂込めたお気に入りのジャケットならぬ、オリジナル終楽章の「大フーガ」を否定され、無理やり、はぎ取られたときのベートーヴェンは、どんなに情けなく悔しい気持ちがしたことでしょうか。
そこで明後日は、「大フーガ」を終楽章として演奏しているベルチャ・カルテットの演奏を聴くことにいたしました。ベルチャ・カルテットはもう一つの方、つまり軽量級のフィナーレ版も収録していますので、そちらのフィナーレも聴いてみたいと思っております。
でも、みんなが重いジャケットを脱がせてしまったために、彼は病躯に鞭打って、軽いジャケットも縫い上げたのです。
亡くなる4か月前、1826年11月に、第16番作品135とともに書きあがったこの軽量フィナーレが、ベートーヴェンの最後の完成作となりました。実はこれもなかなかの逸品。おかげでわたくしたちは、1曲、得をしたことになるのではないでしょうか。
2021年12月13日記
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