今年の221日、北の都の文化の殿堂で、画期的な『蝶々夫人』が上演されました。わたくしはその日に現地で拝見できませんでしたが、演出家の岩田達宗氏から後日、記録用の非売品DVDご恵贈いただき、非常に鮮明な美しい映像と上質の録音で鑑賞させていただくことができました。ライヴ上演に対してではなく、非売品映像へのレビューで恐縮ですが、札幌文化芸術劇場さまからご理解をいただきましたので、ここに公演評を書かせていただきます。

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◆岩田達宗プロダクション『蝶々夫人』公演評
                                      音楽評論家  萩谷由喜子

 現在、世界中のオペラハウスで屈指の上演頻度を誇るオペラ『蝶々夫人』は、1906年のパリ公演用に改訂された第6版(パリ版)を標準版としている。よく知られているように、このオペラは1904217日のミラノ・スカラ座初演では、いくつかの悪要因が重なって大失敗を喫してしまう。天を仰いで唇を嚙みしめたプッチーニは起死回生をかけて改訂を施し、およそ100日後にブレシアで改訂版を上演したところ、今度は文句なしの大成功を収めることができた。その後もプッチーニは改訂を重ねる。

ことに、2年後のパリ上演に際しては、全神経を集中させてパリの聴衆好みの悲劇性の濃いヒロイン像を彫琢しようとした。芸術の都パリでの成功こそが、あらゆる舞台芸術の世界的成功を約束するからだ。そのために彼は、蝶々さんの自我や矜持の表現を抑制し、彼女を悲しい運命のけなげな犠牲者として描くことに全力を注いだ。彼の意は図に当たり、パリ版の蝶々さんは多くの聴衆のハンカチを濡らす。それゆえに、以後の上演はこのパリ版がスタンダードとなった。

 今回、演出の岩田氏は、果たしてそれでよかったのか、悲劇のヒロインに仕立てすぎたあまりに、日本女性としての誇り高さや、子の将来を想う母親としての大局的なものの見方を具えた女性である面が希釈されたのではなかろうか、という視点から、そうした蝶々さんの本質を生き生きと伝えるブレシア版の個所を復活させた。それは、第2幕第1場、ヤマドリ公の求愛を受け容れてはどうかと進言するシャープレスに対し、蝶々さんが子どもをみせて「芸者に戻るくらいなら、死を選ぶ方がましです」と取り乱して泣くパリ版の場面をブレシア版に入れ替えた箇所だ。ブレシア版の蝶々さんはヒステリックに泣きわめかずに、子どもに向かって神々しいまでの毅然とした態度で「おまえは天から降りてきた光り輝く存在」とその美しさを称え、子どもの将来を明るく照らそうとする。

 一方、岩田氏は、惨敗を喫した初演版の長所にも光を当てた。初演版とその後の版の最も大きな構成上の違いは、初演版では、ハミングコーラスのうちに一夜が明ける前と後を第2幕第1場、第2場と一括して第2幕としているのに対して、その後の版では夜が明けてからの部分(初演版の第2幕第2場)を第3幕として独立させた点だ。岩田氏は、それをもとの形に戻したのである。ただし、適宜刈込があったので、決して冗長すぎるということはなく、むしろ、時間の推移がより鮮明になった。

 さらに、蝶々さんが、単なる捨てられた可哀そうな女などではなく、自我の精神に富んだ一個の立派な人格である事を聴衆にしっかりと伝えるために、岩田氏は、第2幕第2場のケイトとの対決場面を初演版から復活させた。これは大きな驚きだった。ケイトが誰であるかを悟り、彼女が何を要求しているかも知った蝶々さんは、「わたしの愛した人に愛されているあなたは、世界で一番幸せな方」とケイトの存在を肯定的に受け容れつつ、自分に近づくことは許さない矜持をみせる。そして「結婚されたのはいつ?」「1年前です」のやりとりもある。この短い会話からは、図り知れないほど大きな想像力が膨らむではないか。

蝶々さんの待った歳月は3年。はじめの2年のうちに帰ってきてくれたなら、間に合ったのである。それなのに、たった1年前にピンカートンはこの人と結婚してしまった。蝶々さんの無念が胸に迫る。

さて、今までは、このプロダクションが、パリ版を基準としてミラノ初演版、ブレシア再演版の見るべきところを組み合わせた岩田オリジナル版である事を述べたが、この先は演出家・岩田達治のとてつもない創意について紙幅を割きたい。

まず、ゴローが赤い月(太陽?)に向かって激しく刀を振るう幕開けからして衝撃的だ。この男が単なる金もうけ主義の女衒などではなく、うちに熱いものを秘めた日本の男である事を暗示するこの演出は、幕切れとの見事なループをみせる。このように、全編仕掛け満載だが、最大の画期的アイディアは、第2幕第2場、早朝に蝶々さんの家を訪れるピンカートンを、あろうことか、傷痍軍人に仕立て上げた設定だ。ゴローの押す車椅子に乗って痛々しく現れたピンカートンにはわが目を疑ったが、瞬時に岩田氏の意図が理解できた。演出家というものは、登場人物すべてに、ひとしく愛を注ぐべきなのだろうか?いや、違う。場合によっては、そのうちの誰かを天に代わって懲らしめる力を有していたって構わない。そう思った。

卑劣なピンカートンにこのような形で罰を与えた岩田氏は、さらに容赦なく、よろよろと立ち上がったピンカートンをすぐに倒れさせる。彼は倒れた姿のまま『さらば愛の家よ』を歌い、車いすに戻ろうとして悪戦苦闘するが、シャープレスもゴローも誰も手を貸さない。ゴローまでもが今や蝶々さんの味方と化し、蝶々さんが大事に飾っていたピンカートンの写真立てを彼に突きつけて、その薄情さを糾弾する。このあたりの演出は実に細かい。

 当然ながら、リブレットへの加工はないので、彼がなぜ、足の不自由な身になったか、などは一切語られないが、オリジナルのリブレットには逆に、彼が車椅子の身であることと矛盾する会話進行もみあたらない。しかも、ケイトが「彼のために」子どもを渡してほしい、という台詞は、もうピンカートンには子どもを望めない、という事情もほのめかすかのようで、一層、切実に聞こえ、効果絶大だ。よって、この一大アイディアは見事に場面に溶け込んだ。なんと鮮やかな、卑怯な男への鉄槌だろうか。

 そして大詰め、蝶々さんの自害をどのように描くのか。固唾を飲んで見守ると、これまた岩田氏の手腕が冴えに冴えた。もしや、このプロダクションの再演があるかも知れないので、これでやめておくが、これまでに観た数多くのプロダクションの中で、最も美しく、余情があり、『蝶々さん』の名にふさわしい幕切れであったとだけ記しておきたい。

 最後になったが、タイトルロールの佐々木アンリの歌唱と立ち居振舞いは、実際の蝶々さん(いらっしゃいませんが)もかくやと思わせるものがあり、出ずっぱりの試練に最後までよく耐えたと感嘆。どこに出しても恥ずかしくない、名「蝶々さん」である。ピンカートンの岡崎正治、シャープレスの今野博之も、それぞれのキャラクターがよい味を出していて、組み合わせとしてもバランスがとれている。スズキの荊木成子は引き締まった好演、ゴローの西島厚は舞台人のキャリアがおのずとにじみ出てオーラさえ放ち、ヤマドリの岡元敦司はコミカルな味をよく表出、ホンゾの大久保光哉も過不足のない演技。ケイトの東園己には滋味があった。

 柴田真郁指揮、札幌交響楽団も鳴りがよく、歌手にしっかり寄り添っていた。

                                       2021622日記