815日、小田急線新百合ヶ丘駅から徒歩5分の「テアトロ・ジーリオ・ショウワ」で、公益財団法人・日本オペラ振興会主催によるオぺラ公演『カルメン』を観ました。

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 思い返してみれば、新型コロナウイルス感染症問題の深刻化以前に、生のオペラを観たのは今年の2月でした。214日に新国立劇場『セビリアの理髪師』、翌15日に東京文化会館『400歳のカストラート』、20日に東京二期会『椿姫』、22日に東京芸術劇場『椿姫』、23日にオーチャードホール『カルメン』(演奏会形式)まで5公演を観たところで、26日に予定していた新国立劇場オペラ研修所『フィガロの結婚』の中止連絡を受けました。

ああ、残念!と思うまもなく、あとはもう雪崩のように、月末から翌月以降のありとあらゆるオペラ公演が中止、もしくは延期となりました。

4月に予定されていた藤原歌劇団公演『カルメン』も8月に延期とされましたが、4か月後にコロナ騒動が収束しているとは考えられず、再延期かと心配しておりました。

ところが、同団では関係者の叡智を結集させて、延期予定通り81517日にダブル・キャスト3公演の『カルメン』を開催し、国内オペラ公演復活の先陣を切ったのです。

その15日の初日にうかがい、実に半年ぶりに生のオペラを拝見することができたのでした。

会場の「テアトロ・ジーリオ・ショウワ」は昭和音楽大学がオペラ公演を主目的として建てたホールで、客席数はピット不使用で1,367席、ピット使用時には1,265席という中規模ホールです。ピットというのは、オペラ上演時にオーケストラが坐る、ステージ手前の閉鎖的な狭い空間のことです。専用ピットのあるホールでは客席より低い位置にあらかじめ設けられていますが、このような可変式ホールの場合は、客席前方の数列の椅子を撤去しパーティションで仕切ってピットとしています。いずれにせよ、閉鎖的な、いかにも空気の滞留しそうな空間ですから、感染防止対策下でオペラ上演となれば、まず、このピットを何とかしなければなりません。

この日の音楽を担当したテアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラは狭いピットに入ることなく、ステージの奥にできるだけ間隔をあけて陣取りました。管楽器以外は黒マスクを装着しています。残る客席側の空間が、歌手とダンサーたちの歌い演じる場となりました。合唱(藤原歌劇団合唱部)はステージの中二階に配されていて、序曲の間は幕で隠されていたので、幕が上がって姿を現したときの演出効果はなかなかのものでした。

演出の岩田達宗さんは、被抑圧階級に生まれ育ちながら強い自我を持って生きたカルメンの最大の自己表現手段は「歌」である、として、カルメンに存分に歌わせるために、装置は極力簡素化して、畳一畳ほどのサイズの透明アクリル板4枚と、背がはしご状の椅子1脚のみを可変式に用いました。登場人物たちが、このアクリル板を自在に動かして間仕切り壁をつくり、それを盾として、歌手たちは躊躇なく歌うのです。

ただし、アクリル板だけではやはり心もとなく、指揮者、歌手、ダンサー全員が、透明アクリル製のフェイスシールドを装着していました。これをつけると、もとの発声法、発音法によってはいくらか声が不鮮明になる歌手もおいででしたが、すくなくとも、表情ははっきりと見えました。

子どものころ、町の自動車修理工場や鉄板加工場等の前を通ると、職人さんが目のところだけ透明な赤茶色のお面をかぶって、溶接バーナーから火花を飛び散らせながら作業をしておられる光景を、ときどき目にしたものです。熱くないのかしら、とても、こわそうだな、職人さんは気の毒だな…と、その都度、息を飲んだことを思い出しました。 

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歌手たちのつけていたフェイスシールドは、頭にはめた輪から透明で柔軟なアクリル板が垂れ下がって顔面を覆うタイプのもので、軽くて精度がよさそうでした。今回の復活公演第一号が弾みとなって、この先、我慢に我慢を重ねてきたオペラ関係者の皆様が、秋からどんどん公演を再開されるでしょう。そして、ほとんどすべての公演で、このフェイスシールドが大活躍することでしょう。オペラを救う、手軽で優れたアイテムかも知れません。

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ただ、いくら軽くて透明とはいえ、これがお顔の前にあるのとないのとでは、歌いやすさ、演じやすさはまるで違うでしょう。

本来、人間の呼気や、発声に伴う自然な飛沫は、溶接バーナーの火花とは違うのですから、シールドを付けてのオペラが当たり前、などという世の中であってはならないと思うのです。今は一時的な方便として、フェイスシールドの恩恵に浴したとしても、一日も早く、感染症拡大の危険が去り、新型コロナウイルスが根絶されて、フェイスシールドなしのオペラ上演が当たり前の世の中が来ることを願わずにはいられませんでした。

タイトルロールの桜井万祐子さんはミラノを拠点に活躍中のメゾ・ソプラノ。すでにヨーロッパ各地で『カルメン』を歌ってきた方です。ドン・ホセの藤田卓也さんは、藤原歌劇団を背負って立つテノールのおひとり。フェイスシールド、なんのその、お声が無尽蔵に伸びました。ミカエラの伊藤晴さんは人気、実力ともに急上昇中のソプラノ。エスカミーリョの井出壮志朗さんは今回が藤原デビューとなる新進気鋭のバリトンの若手。楽しみな方です。スニガの東原貞彦さん、ダンカイロの押川浩士さん、モラレスの大野浩司さん、フラスキータの山口佳子さん、メルセデスの増田弓さんもそれぞれ、役にふさわしい歌唱と演技で舞台を盛り上げました。

オーケストラを指揮なさったのは、東京藝術大学在学中から、『ドン・ジョヴァンニ』『コジ・ファン・トゥッティ』『セビリアの理髪師』『カルメン』『ラ・トラヴィアータ』『こうもり』『愛の妙薬』などを振り、2019年藤原歌劇団『蝶々夫人』で本格オペラ・デビューを果たした鈴木恵里奈さん。たいへん明晰な棒を振られる方で、強い牽引力を発揮なさっておられました。こういう方に振っていただくと、オーケストラはさぞ演奏しやすいだろうと思いました。とても素敵な女性です。

そして、忘れてならないのは、平富恵スペイン舞踊団の4人のダンサーの名ダンス。これがステージにひときわ、花を添えていました。大きな拍手を送りたいと思います。

この公演の詳しいレビューは、『音楽の友』10月号に寄せました。

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